野村克也監督に学ぶマネジメント名言

野村克也監督

偉大な野村監督の名言には、いつも迷ったときに助けられてきました。

ボヤキとも言われる野村語録、多くのマネージャーや経営層に刺さります。

野村監督に学ぶ至高のマネジメント術

金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流

マネージャーであれば是非覚えておきたい野村監督の名言。現在のプロ12球団中、実に半数の6球団の監督が野村さんの教え子であり、多くの人材を育て残しています。

選手兼任監督だった南海ホークス時代から、ヤクルト、阪神、社会人シダックス、そして楽天とさまざまなチームで監督を歴任した野村監督がいうと厚みがあります。

マネージャーは自分の名声を気にするのではなく、人を残せるような教育者でなければいけません。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

野村監督の最も有名な名言といえる「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」。勝つときは色んな勝ち方があり、相手のミスや時流で勝てる「ラッキーパンチ」的な勝利があります。

しかし負けるときには必ず理由があり、負けるべくして負けている。であれば、負けたときにはかならず次回に活かせる教訓が隠れています。

負けた原因を分析して、同じ負け方をしなければいつかは必ず勝てるようになります。

好かれなくても良いから、信頼はされなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない

好かれなくても良い、嫌われても良い。ただし信頼を勝ち取らなければいけないことをわかっていないビジネスマンは一定数います。

信頼を勝ち取るためには、1.1コミュニケーションが根底にある。1.1コミュニケーションは、受け入れや興味関心、意味付け、背景確認に基づき、コミュニケーションする相手を成長させるなどプラスの効果をもたらします。

正反対にあるのが0.9コミュニケーション。犯人捜しや否定放置、論理のすり替え、マウンティングに基づき、自分が主語になりがちな人材です。1.1コミュニケーションをとる組織に変化させ、信頼しあえる関係を作りましょう。

ナポレオンは「人間を動かす二つのテコがある。それは恐怖と利益である」と言った。私はこのふたつにそれに「尊敬」を加えたい

監督として辣腕をふるいつづけた野村監督だからわかる、人を動かすための本質。

恐怖と利益でひとを動かすことはたやすい反面、より強い恐怖や利益によって他に流されてしまうように相手を育ててしまいます。

「利益と尊敬と、少しの恐怖」という3つの要素で人を動かすことが理想であり、その潤滑油となるものが「ユーモア」であると野村監督は語っています。

「計画」「実行」「確認」は、どんなことでも通用する仕事の三要素である

野球も仕事も一緒。人が育たない、事業が成長しない、そんなときは「計画」「実行」「確認」のいずれかが振り返れてないことがほとんどです。

PDCAなどの言葉に流されてしまいがちですが、突き詰めれば「計画」「実行」「確認」の3つだけで人も事業も成長していきます。

「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない

今日一日を「どうするか」考えていない人間に、最高の結果が訪れることはありません。毎日自分が何をどうするか考えて行動している人は、自然とどうなるかが見えてきます。

部下が、自分自身の将来像や『仕事のできる自分』に対するイメージを持てない場合は、「どうなるか」は一旦捨てて、「どうするか」にフォーカスさせましょう。

そして、どうするかにフォーカスさせるためには、マイクロマネジメントの必要性が出てきます。野村氏曰く「誰かが見ている」という意識をいつも忘れなければ、おのずと何事にも全力で取り組むようになり、毎日を無駄に過ごすことはなくなるとのことです。

人徳は、才能の主人

「才能があっても人徳が備わっていなければ、家に主人がおらず、使用人が好き勝手に動いているようなものだ」と野村監督は語ります。

仕事ができるだけで通用するのは20代まで。30代以降はそこに人徳が備わっていなければ、だれもあなたの話に耳を貸してくれなくなります。

人徳の上に才能の花を咲かせられる人になりましょう。

部下を「信じる」ということは、リーダーの重要な資質

部下を信じないリーダーは、部下から信頼を勝ち取ることはできません。部下を信じれない!という人は、そんなあなたを信じる人もいないということを知りましょう。

選手を育てるのは「責任感を持たせる」こと。並の選手が「責任感」を持って、初めて主力選手の仲間入りができる。さらに「自覚」が一流選手に押し上げるエネルギーとなる。その底辺にあるのが「信頼感」

これも同様に野村監督の名言ですが、信頼がお互いにある状況でなければ、1流のビジネスマンを育てることは出来ません。

人を判断するときは決して結論を急がないこと

人事考課や人材配置、チーム編成など、人が絡む判断だけは急いではいけません。何をするにしても中心にあるのはヒトであり、最重要なポイントを急いては事を仕損じます。

ただし結論を急がないこと自体が重要なわけではなく、常日頃から人事については思考を巡らせておき、いざというときに迅速な判断をすることが大切です。

結論を急ぐ必要はない、結論を早くだせる準備をしておくことです。

人間の才能なんて、どこに隠されているか分からない。相手の話を聴いてみる。それが第一歩。そこから組織の活性化が始まる。

人間には100%長所があり、その長所を見出し組織に活かすことがマネジメントの肝です。

長所が表面化していない場合は、まず相手の話を聞いてみましょう。そこで長所を得られればそれでよし、長所を的確にとらえられなくてもヒントがみつければ良しです。

何より、長所を発揮できていない相手は、上司が自分の良いところを探そうとしてくれる姿勢に共鳴し、自ら長所を発見しようと努力するようになります。

メモをつけよ。メモすることが癖になると、「感じる」ことも癖になる

普段から気づきや配慮が足りない人物には、まずメモをとることから始めさせましょう。

メモを取ることを強制し、やがてそれが癖になってくると、「感じる」ことも癖づいてきます。もちろん感じるようになれる未来像は初めから相手には伝わりにくいものなので、メモをとらせる行動管理を徹底しましょう。

ノートや手帳でなくても、スマホアプリのメモやevernoteなど何でも良いのでツールを共有し、メモをとっているかチェックし続ける事で相手の鈍感度は薄れていきます。

組織はリーダーの力量以上には伸びない

間違いない。リーダーは常に刃を磨け。

負けそうな自分に効く!野村監督の名言

不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば器用な人間より不器用な方が最後は勝つよ。

不器用な人間は、器用な人間よりも自分の得手不得手をふかく認識しているものです。

不器用なひとは、器用なひとよりも不得手がはっきりしているぶん失敗が多くなりますが、失敗に対するアプローチが明確に打てます。

失敗の数を成長に活かすことで、最後には失敗をしてこなかった器用な人を追い越すことができます。

「もうダメ」ではなく、「まだダメ」なのだ

続けていれば成功してたはずのことでも、結果が出ないからと言って「もうダメ」と諦めてしまいます。99%の人が、あと少し、あとほんの少しでも我慢できていれば結果がでていたのに途中で成果を諦めます。

「もうダメ」ではなく「まだダメ」。本人も上司も常に心がけておきたい心持ちです。

心配とは行動の不足から起こるものである

心配というのは、事前準備を120%行っていないから湧き上がるものです。「これで大丈夫だ、もう限界だ」と思ったさらにその先の心配事に対しても手を打つことで、あとは運否天賦、運を天に任せるほかありません。

そもそも心配や不安というのは、心配になる暇があるから芽を出してきます。汗をかくほど成功に対しての思考、行動をとっていれば心配する時間すらないはずです。

野村克也(のむら かつや)氏について

野村克也氏の経歴

  • ・1935年6月29日生まれ京都府京丹後市生まれ
  • ・中学2年生時に野球部に入部
  • ・南海ホークス時代に「バッティングの科学」という本に出会いID野球が芽吹く
  • ・戦後初の三冠王
  • ・4番打者であり正捕手であり監督を務める
  • ・南海、ヤクルト、阪神、東北楽天の監督を歴任

1935年、現在の京都府京丹後市出身。裕福な家庭ではなかったため、稼げるイメージのある歌手や俳優を目指す。

中学時代に野球と出会い注目を浴びるものの、進学した高校野球部が弱く無名の1選手として時を過ごす。しかし、野球部関係者がプロ球団に推薦状を送った結果、南海にテスト生として入団が可能になる。

プロ野球人生一年目は11打数無安打、戦力外通告を受けるが正捕手らの事故等により捕手不足となり残留。3年目、一軍に抜擢され正捕手に定着。「バッティングの科学」という本にであい、投手の癖を分析するようになる。

1957年に自身初の本塁打王のタイトルを獲得し、翌年以降は当たり前のようにタイトルを獲得。活躍輝かしいも、同時期に活躍していた王貞治や長嶋茂雄に比べると世間からは注目されず自身を『月見草』と語る。

1968年から選手兼コーチ→1970年には選手と監督を兼任し、4番打者、捕手、監督という前代未聞のフルプレイングマネージャーとして活躍。

1970年シーズンは42本塁打、通算2000本安打を達成。翌々年、監督としてリーグ優勝。その後ロッテ、西部に移籍。1980年3,000試合出場を達成し、45歳にて引退。

ノムさんが愛された理由

野村監督がなぜ世間から愛されたのか。その理由のひとつは、ダルビッシュ選手が訃報について語る動画でわかるのかもしれません。

動画の内容の大半が野村監督の「器」についての話であり、自分の時代を過度に美化せずに今の若い選手を公平にリスペクトしてくれていたことを話されています。是非ご覧ください。

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